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断片の壁 |
ベルリンの壁の崩壊に伴ってクローズ・アップ されたのはブランデンブルグ門ともう一つチェック・ポイント・チャーリーである。このスパイ小説−エスピオナージに度々登場するゲートは、ブランデンブルグ門が象徴とすれば現実そのものであった。銃と鉄条網が目の前にあり、死が馬の前のニンジンのようにぶら下がっている光景を感じる。ここを訪れたのは最初が1972年。二度目が1988年であった。88年はその頃の東ベルリンの建物が迫る壁際に建つネオ・クラシカルなグロピウス・バウで開かれた、今は亡きヨーゼフ・ボイスの回顧展を見に行くためであった。チェック・ポイント・チャーリーから歩いて10分足らずの距離である。私はボイス展を見たあと、16数年前にそうしたように壁に沿って歩き、チェック・ポイント・チャーリーに行った。そしてそのすぐ近くにある〈壁の博物館〉へこれも又16年ぶりに入った。 チェック・ポイント・チャーリーの死の予感のようなものを横目でみながら〈壁の博物館〉のオブジェ−脱出のオマージュをみるのは大変生々しいものがある。あたり一帯の奇妙な静けさが一層そうした気分をかもしだしている。二つの鞄をつなぎあわせてその中に入って脱出したという物質や、東と西を渡ったロープ、さらには弾痕の跡も生々しいフォルクスワーゲンなど、そこにはメモや写真と共に数々の脱出の記録が、それこそ所狭しと並べられている。それはまさに数時間前に見たヨーゼフ・ボイスの密蝋とフェルトのようなインスタレーションの前史であり、戦後ドイツの悔恨の断片が同じ言葉で語られているかのように思われた。いや広くそれはヨーロッパの歴史の断片の歴史の集積である。それはかつてみたワルシャワのガス室の光景や広島の記録写真でみたような人間的悔恨につらなるものというよりは、もっと粉々に砕け散ったもの、つまりそれは各々が決して特殊な物質や光景でないことによる、いわばヨーロッパの物質的種子のようにみえたことに原因がある。もしも、こうした状況にある物質を一口でいうとしたら、それはドイツ的とか東西の悲劇という修辞ではなく、むしろヨーロッパ全土に渡る営為的な思想のオブジェ化である、といった方が先感である。意識的に行為を残像として記録した、歴史の断片である。換言すれば、ヨーロッパの思想は断片の思想といってもよいだろう。完全なるもの−神からそげ落ちた断片の復元が彼等の世界認識ではなかったか。 何とヨーゼフ・ボイスの素材は〈壁の博物館〉の素材とよく似ていることだろうか。脱出といい、サバイバルといいたぶんこの二人は双子のドイツ人なのではあるまいかと思う。私は〈壁の博物館〉のさまざまな生きるための小道具を前にしてそんなことを考えていた。アア!ダカラ!記憶の断片が西という名の博物館にあると思う東の人々が〈壁〉を越えてやってくるのだ!というのは勿論皮相な個人的感想だが、白いパンの断片に自由をみいだすのはいずれにしても時間の問題でもあるだろう。そしてそれが高価なことも…。 ウィリアム・バロウズ、ヘンリー・ミラー、ギュンター・グラス、ジャン・ジュネ、レーモン・ルーセル、ガルシア・マルケス、レナード・コーエンにわが寺山修司も加えて、とりあえず断片の思想家といっておく。さらに、ヨーゼフ・ボイス、ジョナサン・ボロフスキー、アンセルム・キーファー、クリスチャン・ボルタンスキーなども連なっていると思う。マルセル・デュシャンはともあれ、ジャン・アルプ、ホアン・ミロ、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックやメルツバウの制作者クルト・シュビッターズやジャン・ティンゲリーも私は連帯につけ加えたい気持ちである。 私は5時の閉館の時間がくるまで〈壁の博物館〉にいた。追い出されるように扉を出ると右手にみえるチェック・ポイント・チャーリーは相変わらず無気味なくらい静かである。ジョン・ル・カレやフリーマントルの主人公たちは今頃どうしていることだろう。友人の谷川晃一にいわせれば、私は暇があれば喫茶店の片隅でいつも何かにメモをしている人生のバカボンドだというのだが、実際ここはいろんなことを考えさせてくれるところである。とても一杯の珈琲では足りない位の想像をかきたててくれるのである。思想の断片。断片の思想。シソウの断片。ダンペンのシソウ。弾丸の思想。思想の男根。男根の歯槽。大根の思想。 |