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―ライブ・アート論―

 近代以降の数多くの実験的芸術が、自己言及の結果から生まれた自由と解放の空気によってつくられてきたのはよく知られたことである。それは個性が始めて認識された時代といってもよいが、別の角度からみれば、それまで一方的に与えられてきた歴史観や政治経済観、つまり奪われたまなざしの復権であったともいえる。
 現象的には例えば蒸気機関車の発達による情報の拡散と、それに伴う市民意識の芽生えがあり、加えて市民ブルジョワジーの台頭や、19世紀末でいえば宗教的末世感が世界の無秩序に拍車をかけていた。
 未来への不安と自由な空気が混ざりあっていた時代は近代という名の海へ向かうレミングのような心理状態だったといえる。西欧芸術の歴史でいえば、この市民意識の台頭と重なりあうのが中世ロマン主義から移行した印象派であり、さらに結果的には科学的視座の獲得であった後期印象派からエコール・ド・パリ、一時期の装飾芸術であるアール・ヌーボーやアール・デコの前身である分離派がそれに加わり、ガラスと鉄の建築の隆盛は光の空間という意味で秘儀的なものからの解放として自由の意味を与えてきた。例えば1851年のロンドン博覧会以来に1889年・1900年のパリ博覧会などのユートピア思想の反映はまさにガラスの光と鉄の自在さによる自由と解放の一大モニュメントであったといえる。それから、そうしたゆっくりとした変革性にあきたらない人々の一群が現れた。ロシア構成主義、ダダイズム、マリネッティに代表されるイタリアの未来派宣言、アンドレ・ブルトンを中心とするシュールレアリズムなどの数々のマニフェストがそれである。彼等によって西欧芸術は大きな転換期を迎えることになった。(余談ではあるが、パリがこうした芸術の運動の中心地であったのは、1889年、1900年と続いたパリ博覧会のせいだという見方もある。ユートピア思想によってパリ博がつくられたのは周知のことだが、このユートピア思想の実現の為にパリ市は世界中の文物をグラン・パレとプチ・パレに集め一大美術のコンクールを行ったのである。ついでにいうと1900年時の一等はバルビゾン派のミレーであった。つまり、博覧会の会場だけは一種のミニ・ワールドと化し、どんな国の人々も自由に往来できたのである。こうした空気は特に芸術家にとっては何よりも多くの国々や人々の情報に触れることが可能とされたという点で「自由」の代名詞であったのはいうまでもない。でも可能にするオモチャ箱のような会場は、美術、音楽、建築のそれこそ一大実験会場であったのであろう。このことを書いた貴重な資料がある。「欧山米水」を書いた大橋己羽生は1889年のパリ博の印象象を次のようにしるしている。「這般の大博覧会は実に比のコンコルドより起こりてトロカデローに至り、その規模の宏大にして、結構の壮麗なる殆ど名状すべからず、今一目し去れば、東京二重橋より高輪をかけて比の一大市場の開かれたりとも云ふべきか。この宏大なる規模はセイン川を中心として大凡分かちて五ヶ所となせり。第一はシャンゼリゼーという巴里市第一等の大通りより入りたるにして新聞の一大通り、即ち露国国帝の名を取りたるアブニュー・ニコラス二世というなり、比所に大小の美術館あり。大庭園あり、世界界の美花奇草四季を選ばず、この庭園に集羅せり、第二はアレキサンドル三世橋を渡りたるエスプラナードデサンクアリードにて各国の工芸館装飾館等比所にあり。第三はアンヴァリー橋よりアルマ橋に至るまでの両岸の建築にして各国互いに共固有の方式によりて構造の妙を競う。第四はシャンドマルスの大場にして機械、理化、教育、文学、技術、農業、山林、水産、鉱物、織物等の諸館並び建てり。第五は、トロカデロー楼閣を中央として諸国植民地の建物夢を連ね、各国各々其特色を発揮して絢爛一目を眩せしむ。(中略)若し日暮れて七時を過ぐれば、さすがに宏大なる場内は恰も満天の星花を集めて一場に放ちしが如く、光彩爛として不夜城をなせる様殆ど人為の業とも思われず、殊にトロカデロー楼閣シャトウドウといえるシャントマルスの大祝殿等は噴水数百丈、轟然として天より落下せるが、いずれも五彩の電光に映じて壮観比類なし。又一たび大花園の中に杖を曵けば東西の花卉爛漫として妙を競い、馥郁をして香りを飛ばせるが中に、盛装せる泰西美人の嫣然として憩へるなど、正に彼のエデンのパラダイスもこれに過ぎじと思はれける。」ここに描かれているのはある意味で20世紀芸術の発端である社会の側面であろうか。
美術に於いてはその後キュビズム、フォービズムが現れデザインや建築はウィーン工房のヨゼフ・ホフマン以来の総合化の理念が1923年にグロウピスに代表されるワイマールのバウハウスとなって結実する。今さらいうまでもないことだが、変革は新精神(ヌーボーエスプリ)によってうながされ破壊と再生の繰り返しが芸術のラディカリズムをより一層すすめていったのである。私の好きなフーゴー・バル、トリスタン・ツアラ、クルト・シュヴィッターズ、フランシス・ピカビア、マン・レイ、マルセル・デュシャン、マリネッティ、タトリン、イブ・タンギー、オスカー・シュレンマーなど。彼等は芸術と共に社会構造の変革の担い手でもあった。と同時に行為による変革者でもあったのである。それはのちにローズリー・ゴールドバーグの著書にもあるように「各々が各々の立場に於けるマニフェスト」であり、今日のパフォーマンスの先駆者として登場した時代であったといえよう。

 再びアレゴリー論をもちだすまでもなく、それは王と民衆の関係が去り、民衆が王となる倒錯した今日の時代の夜明け前であった。こうした状勢は歴史が中世から近代にかけて起きた世界の社会的事件や政治的ドグマと芸術が重なりあっていることを示すものである。しかし、考えてみると不思議なことに、芸術に変革が始まり、重なるように社会に大きな革命的うねりが始まった時代から今日まで、芸術はあえて芸術の自立を求めてきたのも確かである。時として不思議に思うのは、芸術の自立という点でいえばむしろ中世以前の方が遥かに、例え王権に守られ声を失っていたとしても自立していたのではないかという問いが私の中にある。つまり、ここで問われているのは歴史の中で、芸術は社会的に自立しているかどうかである。政治というドグマが古来都市国家の発生からみられるように、芸術も又独自のドグマをもった発展をとげてきたことはよく知られていることである。必ずしも社会と芸術は重なりあって互いに影響を与えてきたわけではない。美術評論家の中原佑介が「見えるものの神話」の中で―それを芸術作品として見るということによって芸術と呼ぶ―と書いたように、それらについて今さら考えるまでもなくこうした考え方自体が〈芸術〉とは何かという問いにつながっていることはいうまでもない。20世紀に起きた様々な革新的な行為やその軌跡は、その意味で多くの人々が指摘するように、芸術とは何か、という問いそのものの中で起きた社会現象といってもいいと思われる。

 それはさておき、こうした歴史をふまえた上で今日のパーフォーマンスを考えてみると、アーティストの行為という現象は、その対直接的関わりという点では過去の時代と二重映しになる。欧米ではもちろんのこと日本でも大正期のモガ・モボの大正デモクラシー時代と村山知義などの風刺劇の関係をもちだすまでもなく、芸術家の行為と時代は重なりあっているとみる方が素直ではないか。当然の事ながら、芸術家は社会的行為をうながす目と表現の目が共に同一の視界にあるといういい方の方が解りやすいだろうか。こうした、〈時代と行為〉を重ねあわせた上で、各時代に共通するアクティブな活動を〈パフォーマンス〉という概念でくくることを試みた『パフォーマンス』の著者ローズリー・ゴールドバーグは〈パフォーマンス〉の意義について次のように書いている。ちょっと長くなるが興味深いので引用してみる。
「パフォーマンスによる宣言とは、未来主義から今日に至まで、日常生活において芸術体験を評価する別の手段を見出だそうとして、意義申し立てをしてきた人達の表現である。パフォーマンスは、大衆に直接訴えかける一つの方法であると、同時に、観客に芸術の観念およびそれと文化の関係を再検討させるべく、衝撃を与える方法でもあった。
 この理由によって、パフォーマンスの根底はつねに無政府的であった。さらにその本質上、パフォーマンスは芸術家による生きた芸術(ライブ・アート)である、という単純な言明以上の正確あるいは安易な定義を受けつけない。どんな厳密な定義も、パフォーマンスそのもののもつ可能性を即座に否定することになろう。パフォーマンスは多くの参照物―文学、演劇、戯曲、音楽、建築、詩、映画、空想などをいろいろに組み合わせ、展開させながら、自由に利用しているのである。かくも数限りない宣言をもっているような芸術表現の形式は他に見られない。どのパフォーマーも、それぞれのパフォーマンスの過程と手法そのものによって、それぞれの定義を下す。この多くの作業をともなった宣言は、絵画や彫刻、あるいは建築的モニュメントでは達成が望むべくもない包括的芸術の枠組みと、そのユートピア的ヴィジョンをつくりだすのである。」(『パフォーマンス』・ローズリー・ゴールドバーグ/訳・中原佑介/リブロポート)
 パフォーマンスは生きた芸術であり、それぞれの作家がそれぞれの過程と手法によってそれぞれの定義を下す。ゴールドバーグのパフォーマンス論を要約するとこのようになる。あるいはそれぞれが異議申し立てを行ってきた、という言葉をつけ加えてもよいが、ゴールドバーグの視点は明らかに表現が内省を引き起こす現象に於いて〈意義申し立て〉という言葉にもみられるように他者の、つまり社会的影響によって引き起こされることを指摘していると思われる。しかし、現代が一面では被抑圧的存在と抑圧的な存在の両義を生きていると言う認識に従えば、パフォーマンスはゴールドバーグのいうように〈意義申し立て〉にとどまってはいない。という理由ですでにその境界はあいまいであり、記号的に言えばすでに他者は自己と同一的なものであろう。つまり〈異義申し立て〉は自分以外へ向かう声ではなく内なる他者へ向けられている、と私はすでにのべてきたつもりである。換言すると、ゴールドバーグのいうように生きる芸術(ライブ・アート)というよりは、むしろ生きられる芸術という、現象的にみれば積極的な発露というよりは消極的な内なる声が現在の状況と見合っているのが現在のパフォーマンスではないか、と思われるのである。換言すると〈意義申し立て〉の対象が、自己に向けられはじめているという考え方である。

 いうまでもなくこの消極性な〈意義申し立て〉には二つの側面がある。一つは西欧の自然観と東洋的自然観のちがいである。再生と復活を基本的に文化の構築の中心にある西欧と極端にいえば輪廻転生の思想の違いといってもよい。第二は、今日の社会構造とその引き起こした現象である。人種差別、環境破壊、南北問題、人口増加、資源枯渇などのテーマは全体的には私達一人一人の切実な問題となりかけている。そうした絶対的な不安、つまり均質化した不安の中では、一人一人がそれぞれに異義申し立てをする論理的根拠は失われているとみるべきである。〈異義申し立て〉は今や早急に自分自身に向けられなければならない。勿論、それによって芸術やパフォーマンスが死ぬといっているわけではない。人間が社会的行為者としての側面をもっているとしたら現状は明らかに過去のどんな時代よりも人間の存在にとって不条理なのであるということを認識しているためである。第二の消極性というのはそうした意味である。
 それは、私にいわせれば、ともあれこれまでの生きる芸術は生きられる芸術へ変容していったのではないか、という問いであった。
 もう一度、生きる芸術とは芸術のもつ過程と手法によって−異議申し立てをするものだ…というゴールド・バーグの言葉を借りるならば、ここで私がいう生きられる芸術とは、各々がそれぞれの固有の文化性や環境の中から、自らを含むという民衆という名の盲目の王や政治的ドグマに対して異議申し立てをする作業であるといってよいだろう。問題はパフォーマンスの形式や文化的刺激による再生でないことは明白である。それこそ生きられるかどうかを明らかにするために今日のパフォーマンスは、それまでの歴史や概念やスタイルからいったん離れて、肉体にひそむラディカルな意志の純粋な表明としての創造の作業を試みなければならないだろう。それこそパフォーマンスは、その為にまさにゴールドバーグのいうように、様々の芸術の分野からあるいは歴史からの引用と援用を用い、象徴と隠喩をみつけだし、ありとあらゆる手法を自由に展開し再生すればよいのであると思われる。

 ところで、こうしたパフォーマンスの無びゅう化的論旨を展開してゆく過程でふと思い出したことがある。この2・3年前まで続いたポスト・モダニズム現象である。80年代に入って始まったこの現象は、一方ではモダニズム=近代の見直しにつながり、他方ではモダニズム的要素とは歴史的にみれば一本の線の上で起こった物質的循環にすぎないという論旨であった。物質はそれ自体の中に変容の価値系をもっているという考えであろうか。しかしこうした見直し論や循環性もさることながら、ポスト・モダニズム現象がもたらした最も大きい効果は、歴史的構造主義を再びよびさました点である。現在のパフォーマンスがポスト・モダニズム現象と見合っていると指導した論をかつて何かの雑誌で読んだことがあるが、確かにパフォーマンスのもっている多様なメディア性や引用の再現や、さらには歴史や事象をパラドキシカルに一様のテクニックとして使うやり方は、確かに一見ポスト・モダニズムそれ自体の反映のようにみえる。ゴールド・バーグのパフォーマンス論でも、そうした傾向に触れている部分もあり、そのことによって、後期パフォーマンスを電子メディア的身体を今日のパフォーマンスの中軸にすえようと試みている。しかし、この場合の身体のメディア性という概念が、一種の歴史的進化論という呪縄から逃れられないでいるという理由でそれは単に現象のトレースにすぎないともみてとれよう。むしろ、メディア的身体ということでいえば、身体自体の中に循環的構造が隠されており、その構造がポスト・モダニズム的現象によって明らかになってきた、と私は思う。つまり現象のトレースは何者にもよらず分析的である限りは、パフォーマンスでいえば身体それ自体のもつ様々な可能性を止めてしまう危険がひそんでいることを指摘したいのである。本来、身体はそれ自体の中に様々なエレメントがあり、それは自己発見によってのみ本来の意味でのパフォーマンスの手法や異議申し立てが可能になるという意味である。

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