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―パフォーマンス・アートの出自に関するメモ―

 前章でも書いたように、かつて私はパフォーマンス・アートについて〈演劇からも絵画、彫刻、舞踏、あるいは映画や建築やデザインさらには詩や文学や戯曲などから等距離にある存在である。〉という意味の言い方をしたことがある。別のいい方をすれば、今日のパフォーマンス論は様々なジャンルやカテゴリーをアプリオリに区別できない状況の指摘であった。いはば、今日のメディア・ミックスというかメディアのトータリティの彼方に姿をあらわしたロスト・アイデンティティにふさわしい表記の形式という認識である。
都市と人間、メディアと人間などの対立した葛藤が長く続いている過程では、すでにメディア化=身体という認識が一般的になるにつれて、そうした葛藤はアウフヘーベンされている。そしてそのようなアウフヘーベンされた身体がもたらす無意味な声の反映が現象的には固有の身体の反乱というかたちで語られ始めてきたことが今日のパフォーマンス・アートの中心を形成してきた。固有の行為と特異な想像力を付加して普遍的な世界を想像する行為といったらよいだろうか。単に身体が自らのイリュージョンに身を寄せて創造と契りあうのではなく、やはり身体それ自体の存在が優れた普遍的なメディア的器官としての構造体であることを証明するためにもパフォーマンス・アートはその創造的表現を通して働きはじめたのである。導かれようとしなければならなかったのは、行為によってもたらされる独特な表現性や芸術性ではなく、〈行為を発する身体〉という謎への問いでもあった。例えばスーザン・ソンタグがパフォーマンス・アートの認識をシュール・レアリズム的傾向にあると指摘したのも多分にそうした一種の社会心理学的側面をもつ人間の行為がもたらす社会的影響と、それをひきおこす不可知性という謎によってではなかったかと思われる。
 しかし、一般的にこのような考え方は私に限らずいち早く戦後芸術の前衛の思想にあらわれたものである。ことさらパフォーマンス・アートに特別席を用意したものではない。その限り、に於いてはパフォーマンス・アートも又戦後芸術の継承的存在として現在再認識されているのはいうもでもないだろう。さらにその根拠をたどれば当然のように19世紀の終りから20世紀初頭にもとめることにもなる。ともあれ一口に言うと、身体の中にあるシュール・レアリズム的傾向というのは一貫してこの100年間の芸術と社会の変革によってもたらされたのは事実である。古くはベンヤミン的認識に従えば、現在の私達の時代は複製化時代によってもたらされた自と他の関係の問いであり、今日でいえば〈器官なき身体〉論のジャック・デリダに代表されるメディア的身体の登場もシュール・レアリズム的分析ということになる。勿論ゴンブリッチのようにペルソナ=パーソンという文化人類学的特長から、そもそも人間とは演技的存在であるというシュール・レアリズム的思考を導き出す手法も参考にしなければならないのはいうまでもないが、ここに共通しているのはやはり〈身体〉のもたらす、あるいは〈行為〉の謎が無意識という生物学的特性を通してどのように読みとれるか、という問いである。いわば無意識という知の対極にある生物学的身体と近代以降のに於ける〈身体〉の課題であったということができるかもしれない。

 今日ではごく普通に語られることが多い概念芸術やミニマリズムなどの思想的展開も、こうしたシュール・レアリズム的人間分析の演繹的結果であるのはいうまでもない。こうした展開を芸術の歴史主義の再考ととらえるかは各々の手法によって微妙に違うが、概念的なものにせよミニマリズムにせよその成果の一つは〈身体〉を純粋に記号化した存在として近代の知のメルクマールに付したことである。
 例えば歴史主義の立場に立てば、人間の発生的存在としてのモノリスクから、意志によってモノリスクに力を与えたオベリスク性へさらにそのオベリスク性に運動の原理をもちこむことによって導かれたムーブメントという流れに合致するものといってよいだろう。換言するとそれらは一種の原理主義である。ミニマリズムにはギリシャ美術から以降の西欧美術の歴史の再考を生みだす余地があることはよくいわれることである。勿論今日のミニマリズムが単なる先祖帰りにとどまっているわけではない。表面性やバルールの重視や意図的なずれや素材による構成的な作為性は同時に美術のたどってきた歴史性をそこにくみとる限りやはり単なる原理主義を越えて20世紀美術固有の表現にたどりついたのは周知のことである。経験による自己発展ではなく、芸術のもっている固有の記号的発展の発見が概念性やミニマリズムの立場をより一層明確にしたのである。そうした歴史主義プラス芸術の固有的発展を一つの例としてみてみると、パフォーマンス・アートにとってもこうした記号的発展は、〈身体〉の構造をミニマリズム同様、極めて歴史とそれに伴う芸術の再発見を一つのメルクマールにしたのは当然であったといえよう。
その主題はやはり〈身体芸術〉という古くて新しいものであった。さらにより明確にいえば、〈身体芸術〉の純粋な自己表現への可能性ということになる。


〈階段を降りる処女〉

 数年前、久しぶりにドイツのデュッセルドルフを訪れたことがある。丁度私のパフォーマンスの公演が連続してヨーロッパで行われている途中で、その時はパリからケルン経由でウィーンへ行く時であった。デュッセルドルフは私にとってなつかしい所で、以前に少し滞在していたこともあってなじみ深い街である。かつてヨーゼフ・ボイスに会ったのもこの街の彼のオフィスであった。
 その展覧会は市の中心にあるクンスト・ハーレーで開かれており、主にオスカー・シュレンマーとその周辺に力点が置かれたものであった。オスカー・シュレンマーといえば後期バウハウスの指導者の一人であるが、いはば未来派以降のパフォーマンスを理論的に構成した芸術家でもある。こうした彼の業績と共に展示されていたのは、シュプレマティズムの考案者ともいえるマレビッチの絵画や、ウラジミール・タトリンの第三インターナショナルの為の大型の模型、メェイルホリドの劇場模型などがクンスト・ハーレーの二階と三階を使って展覧されていた。それは完成された作品はもとより、大量のメモやスケッチ、未完のアイディア、当時のポスターや雑誌なども加わって、いはば20世紀初頭のヨーロッパ史を形成していた。特にロシア構成主義といわれる現ソヴィエトの1920年代以前の数々のポスターやスローガン、イタリアの未来派の宣伝用パンフレットなどは、私がはじめてみることもあり当時の雰囲気を伝えるのに充分の役目をはたしていた。オスカー・シュレンマーの作品は、ほとんど全てメモやスケッチからの再現という形式をとっており、特に大きな極彩色の色相分割の箱のような作品(劇場を思わせる)と、周辺に配置された奇妙なノイズを発生する金属のオブジェ達は、まるでオブジェ達によるパフォーマンスを想像させてくれた記憶がある。一言でいえば会場は音と光と色彩で構成された20世紀初頭の一場面の再現という印象である。
 そうしたにぎやかで何かノスタルジックな空間を歩いてゆくと、その最後のコーナーを飾っているのが、写真と映画と一枚の絵であった。別段展示自体は時間差をそれほど重要視していなかったこともあり、年代順に並べられているわけでもない。この最後のコーナーも時間差はバラバラであるにもかかわらずイメージとしては近代から現代へのメッセージという観点に主たる目的があったようである。マン・レイの写真とセルゲイ・エイゼンシュタインの映画資料と、マルセル・デュシャンの〈階段を降りる裸婦〉絵がそれであった。一言で言えば、この展覧会は写真や映画という網膜的概念を含む当時の機械に対する異常な関心が中心になっているというのが私の感想であった。マン・レイやデュシャンのみならず、オスカー・シュレンマーにしても、マレビッチ、タトリン、ガボやメェイルホリドにしても大きな意味では機械への憧れとそれらへのオマージュに向かって未来社会へのメカニカルな美しさとシステムのもつ大量生産性や情報の広がりに彼等が魅かれたのは、今日のコンピューターやエレクトロニクスの発達に私達が未来を負っていると同様に、そうした社会資本の発達が表現と連動していることを意味しているだろう。極端ないい方かもしれないが、ロシア構成主義やイタリアの未来派宣言、そしてその後のバウハウスの運動なども含め、いはば未来の機械化宣言ではなかったかと思うことがある。ひるがえって考えてみれば、人間存在に代用的機能を求め、その代用性が芸術の発端を切り開くという現象は、都市社会の発展と芸術の関係を詳細に調べるまでもなく、等しく私達が古代より体験してきたことである。テクネーというラテン語がのちに芸術と言う概念に転化したようにそこには技術という概念はもともと人間の進歩と変革をあわせもったものである。又、近代に於いては、すでにロマン主義的傾向から印象派に移ったセザンヌやモネ、スーラなどをもちだすまでもなく、彼等が実践した化学的視座の獲得は、その後に続く機械の時代を予言する歴史の流れに位置している。別の言い方をすると、芸術が精神や神との葛藤によってもたらされた内面の刺激による思想的変化と対峙する形で登場したことを意味しているのである。
 人々はそれまでの高貴な芸術や高貴な人々の代弁者であった芸術家の声から、それらに代わる奇妙に自分達の肉声に近い装置や身振りをもったゲイジュツの登場によって、さらに自分達の新しい姿を発見していったのである。しかし他の意味でいえばゲイジュツは下等なものとなったのである。スキャンダル、エロチックなもの、グロテスクさ、ナンセンス、フリークなものが時代の中心をしめるようになる。それはそのままその時代の芸術家の滋養ともなった。人々はゲイジュツの中にアクロバチックなサーカス的イメージを求めたり、異国趣味を満喫することによって旧芸術の、というより旧体制への決別をあらわしていたこともいえるのである。実際20世紀初頭の数々のエピソードは、多くの研究や、例をひくまでもなく多彩であると同時に反モラリティにあふれている。加えて、19世紀の中頃から始まった万国博覧会のブームは市民社会のユートピアの実現のモデルとして大きな刺激を与えたのは想像にかたくない。ロンドン、パリ、ミラノ、フェラデルフィア、ウィーンなどで開かれた万国博は世界中の不思議な文物であふれており、その一つ一つが欧米の芸術家にとっては、それまでの貴族的趣味をかなぐり捨てる契機として彼等を魅了した。モネやゴッホやゴーギャンが一時期日本の浮世絵から影響を受けたことはよく知られており、又、彫刻でいえばそれまでのギリシア彫刻以来の理想の美という概念が、ロダンやブルデルの登場によって普通の人々に肉体がモデルになることで市民社会の到来を告げることになる。エコール・ド・パリの画家達の描く人々はそれこそ貧しき人々の群れであった。ロートレック、ドガ、モジリアニ、ユトリロ、スーチンなどの描くパリの人々の表情はまぎれもなく普通の人々のもつ自由さにあふれているとみることもできよう。さらにロシアでは、それまでの演劇が王を主人公にしていたのに対し、スタニフラフスキーによって主人公のいない演劇がつくられはじめていた。ドラマツルギーそのものの構造が演劇の主人公となった時代である。イプセンに於けるノラの登場はそうした時代の象徴的存在として描かれたのは周知のことである。
 こうして、普通の人々の身体が主人公となり、その普通の身体性を通してさらに芸術は市民社会のもう一つの顔となっていった、といってよい。まさに、生き生きとした身体の登場であった。いわばこうした普通の人々が主題となり、その象徴性が機械にたくされたのが、デュッセルドルフのクンスト・ハーレーでの博覧会の主題であろう。オスカー・シュレンマーのノイズを出す機械のオブジェや演劇プランに描かれたロボット的衣裳の象徴性は、こうした当時の人々の意識の反映である。そして、この生き生きとした身体のイメージが、いわば今日のパフォーマンス・アートの社会的源泉となってきたのはローズリー・ゴールドバーグが「パフォーマンス」で指摘するまでもなくその通りである。

 そして、その最も象徴的なアルイハ、パフォーマンス・アートにとって重要な一枚の絵画がマルセル・デュシャンによって描かれた。

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