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ハプニング

 いろいろな前衛芸術の伝説的な時代が20世紀初頭以来再び訪れた。1958年のジョン・ケージやマース・カニングハムのニュー・スクールの時代から63年代中頃までの約十年間は、前期パフォーマンス・アートにとって最も魅力的な活動がなされた時代であった。
 「何がそのようなかたちで人をかりたてるのだろうか」と、ふと思うことがある。
 戦後の50年代から60年代に於ける社会背景がその問いに答えてくれるというのは、これまでいろいろなかたちで20世紀初頭の芸術の台頭が社会的なものと並列的に論じることができるという点で似たようなものもある。例えば、戦後の混乱とそれ以後の急速な都市化現象のもたらした都市的秩序や制度とでも呼べるシステムが、反面、人々に新しいかたちの階級性や貧富の差をつくりはじめたというのも一つの理解である。しかしもともと都市とは一つのカオスであったものが、それ自身のメカニズムによって統合されたのは皮肉という他はない。ハプニングが生まれたのはそうした時代の一つの声であった。仮に都市的秩序や制度をかつての王権に似た現象にみたてるとすれば、ハプニングはそれらに対するアンチテーゼとしての民衆の声なき声といってもよいだろう。勿論そうした現象に対して、そのカウンター性が旧来の牧歌的な社会がもっている王権に対するそれとは違うのはいうまでもないが、少なくとも、人間的でありたいという欲求は似ている。ただ公然と、芸術的要素を加味した方法がそれに代わっている部分もあるが、違っているのは王権という極めて超個人的なものから、現在の王権に似されるものが、自らの社会そのものがつくりあげた共同正犯的なメカニズムという点である。
つまり、カウンター性は私自身と等しいということを現代は定義している点が、旧来の王権と決定的に違うことであろうか。つまり、王と道化が同種のものであるということが、この比喩をわかりにくくしている。それは自己のつくりあげた現象に対する自己へのカウンター性という皮肉な内容によって、パフォーマンスはいはば自己批評性をもった形式へと参加するようになってきたのである。そしてその先がけとなったのがハプニングとよばれるカウンター・アートの形式であった。アナーキーなアートといってよいだろう。そのアナーキーさによってハプニングは破壊的であり暴力的であるというのは、多分に他者と同時に自己に対するいらだちでもある。こうしたアナーキーさによって、前史パフォーマンス・アートは表現それ自体を再び20世紀初頭同様に疑い破壊しかねない要素を再発見してゆく。ネオ・ダダイズムと呼ばれるようになったのはそうした意味でもある。しかし、いつもこうした分析が我ながらどこかうさんくさいのは、「それでもなお多くの芸術家がパフォーマンス・アートを通してマニフェストとして存在する」理由によってである。一概に破壊的現象だけが〈身体〉を表現するわけでもない。そればかりか近代芸術それ自身の中に、自己破壊的な要素をもった性格があるのではないかと問わなければ片手落ちというものである。例えてみれば、芸術自体が核反応のような内部装置性をもっており、それ自体が自己増殖的に無限の反応を繰りかえしながら変革をとげてゆく力があるのではないか、と。その根拠は、人間性の中にそもそも含まれている超越性や暴力性、あるいは倒錯した思考が関係してはいないかと…。そもそも人間の身体の中に一種の暴力的な破壊装置が隠されており、その装置が何かのきっかけで暴走するという想像と重なりあっている。自己自身の潜在心理の反映がそのまま芸術の変革と重なりあうという相対論である。あるいはこういう言い方はどうだろうか。人は常に死の恐怖から逃れることができない存在であり、その死の恐怖という根源的なネガティブさに対するポジティブな肉体として生への希求が構築されるが、常に人はその無意識の滅亡に絶えられない衝動が暴力の装置となって顕在化するという想像である。
 「ある時代の最もラディカルな芸術がそれに続く時代の道標にされるとすれば、今日のさまざまな芸術は、芸術としての自滅の道を歩んでいる。(中略)いずれにしろ、誤った観念から必ずしも誤った芸術が生まれるのでは無いし、誤った非芸術がつくられるわけでもない。ましてや、そこから誤った洞察が必ず導き出されるということもないのである」(アラン・カプロー/1972年8・9月号/美術手帳)アラン・カプローはハプニングの理論的な形成について「ラディカルな言葉を用い、歴史は進歩するものだという考え方に立つのは、因襲主義者の思うつぼであろうが…」と前置きした上で、それでも芸術自身の中にひそむ力、換言すれば、美学上の領域を越えたところに芸術が現れることを指摘している。言い換えるならば、パフォーマンス・アートの表出は必ずしも社会的要因のみではなく、ましてやそれらとのコミットメントされたかたちがその第一の理由でもないということになるだろうか。パフォーマンス・アートに限らず、芸術はその刺激と反応に於いて現象と心理という無限の原因反応をみつけることも意味している。そのことが芸術自身による芸術変革の内在する意識といってもよいのではないだろうか。
つまりパフォーマンス・アートはその意味でも身体それ自体の中に変革の内在する意識があり、状況に刺激されたかたちで表出する行為といってもよいかもしれない。アラン・カプローが〈ハプニング〉という言葉を偶然にせよ使ったのは、こうした時代・意識と無意識のせめぎあいの空気と呼応しているといえる。「しかし、ことばというものは、アイマイさを含むことによって一般化する。厳密に定義され、その意味するものが、あまりにもはっきりしていると、ことばはなかなか日常化しない」と美術評論家の中原佑介はハプニングという言葉のもつ意味というか空気を説明しているが、まさにアイマイな身体のもつアイマイな時代への反応であったがこそ〈ハプニング〉が、新しい硬直化しつつある都市社会へのカウンター・カルチャー言語として機能したとみるべきなのである。一般大衆にとってもアイマイさをアイマイさのまま残しながらいらだっている自己の存在に対するカウンターとして受入れるのは今日のパフォーマンス現象をみるまでもなく時代の気分というものである。結果論から先にいえば、〈ハプニング〉は文字通りその偶然性という瞬間的な時間の凝縮した出来事が、制度化され再秩序化されはじめた都市的な不安や文化の構造に対して、人間的アイマイさの意志の突出として、人間性回復を意味するものとして受けとられたのであった。秩序に対する無秩序、制度に対する反制度、モラルに対するアンチ・モラルがあたかも人間性回復のシンボルとなったのはいうまでもない。再びいうまでもないが、それらの無秩序、反制度、アンチ・モラリティは自己に向けられていたことも確かであり、その特徴が〈身体〉を通して〈ハプニング〉化されていったのである。
 勿論〈ハプニング〉の事実上の命名者となったアラン・カプローは〈ハプニング〉という名称は不運だ。それは、そもそもはある芸術形式を意味するものではなかった。それは1958年から59年にかけて私の考えだしたあるアイデアのタイトルの部分にすぎない。中世的なことばでしかなかった…」と語っているように、あらかじめ意図的であったわけではない。にもかかわらず〈ハプニング〉という言葉がカプローの困惑をよそに一人歩きをはじめ時代の言葉として使われたのは、時代のアイマイさ、つまり都市的不安に対する人間性の回復という側面によって、秩序や制度を笑いとばし、かつ自由に呼吸したいという大衆の心理が〈ハプニング〉を逆に生みだしていったということができるだろう。

 〈ハプニング〉という名称は、1959年にニューヨークのルーベン画廊で行われたアラン・カプローの《六つの部分からなる十八のハプニング》で最初に使われた。

 さて、〈ハプニング〉がもしもかつてのダダイズムや未来派の宣言や運動と違った面があるとすれば、それは過去の時代には考えられなかった時空間の広がりによってである。時空間の広がりというのは、一口に言えば情報の幅広い公開やメディア機器による情報の拡大化といってもよいだろう。それはさらに他の面からいえば認識の広がりによってもたらされた知的空間の広がりということでもある。つまり認識の広がりばかりではなく価値の変換と情報の拡大がもたらされはじめたのである。こうした現象は他方に於いて古い価値にすがりつく人々や因襲的な人々にとっては不安をもたらすものであるが、一方に於いて急速な都市化は古い価値だけではなくそのスピードによっていわば価値のインフレーションに遭遇したといってもよいものだった。そのような背景は、例えれば、都市と人間という関係は、かつての王と民衆の時代の象徴性よりはるかに複雑なシステムと構造をもった王と民衆の社会であるために、都市の構造から受けるプレッシャーははるかに過去の比ではない。
 コンプレックスとは情報の拡大のもたらした人間の側の状況のことである。比喩的にいえば、自由のもたらした不安とでもいおうか。あるいは見えざる王=都市に対する不安の形式のメッセージが〈ハプニング〉というかたちで象徴的に生みだされたということである。さらに逆説的にいえば、これは近代の新しい王権の時代の始まりを無意識に呼びおこすばかりでなく、自分自身がその中心に居ることを連想させてくれるのである。そしてそれはニューヨークばかりでなく、パリ、ロンドン、ベルリン、東京も含めて、世界が同時進行のシナリオによってプログラミングされはじめた最初の時代の意識である。つまり〈ハプニング〉はこうした世界が同じシナリオやシステムに立っていることを無意識の前提として、その体験者である〈身体〉が異義申し立てをする行為といってもよい。あるいは、古いメディア化された身体性を新しい身体性がとって代わった時代の悲鳴的意義申し立てでもある。
一口で言えば、世界の装置化に対する反装置化が〈ハプニング〉の源泉であり、メッセージである。

 〈ハプニング〉はまだ記憶に新しい芸術である。一つ一つの方法や手法はまだ依然として思想的にも継続しているため、多くの〈ハプニング〉について説明することもないだろう。ここには当時関わった人々の名前を列記しておこう。
 アラン・カプロー/レッド・グルームス/ジム・ダイン/ジョージ・シーガル/クレス・オルデンバーグ/アル・ハンセン/ロバート・ホイットマン/ジョージ・ブレクト/ナム・ジュン・パイク/ジョン・ケージ/シャーロッテ・ムアマン/フィリップ・コナー/ジェームス・ティニィ/ジョー・ジョーンズ/小杉武久/レイ・ジョンサン/ディック・ヒギンズ/フィリップ・マーナー/ラモンテ・ヤング/ジャスパー・ジョーンズ/ロバート・ローシェンバーグ/ボブ・ワッツ/ジョージ・マクニアス/ジャクソン・マクロー/リチャード・マックスフィールド/小野洋子/アリスン・ノウルズ/草間弥生/ウォルター・デ・マリア/テリー・ジェニングス/テリー・ライリー/デニス・ジョンソン/ヘンリー・フリート/アン・ハルプリン/シモーヌ・フォーティ/イヴォンヌ・レイナー/ロベール・フィリウ/ベン・ヴォーチェ/ダニエル・スポエリ/ベン・パターソン/ヨーゼフ・ボイス/エメット・ウィリアムス/トマス・シュミット/ウォルフ・フォステル/ジャン=ジャック・ルベル
※注(この項の名前参照に関してはローズリー・ゴールドバーグの「パフォーマンス」/1972年8,9月号・美術手帳/金坂健二の「ハプニング」のエッセイ/70年・11月号・美術手帳・ジャン・ヤルカットのエッセイ/特集「ハプニング」の中原佑介の論文からの無作為の抽出による)この他、日本のアーティストとしては、久保田聖子/一柳彗/松沢宥/荒木経惟/飯村隆彦/田中考道/邦千谷/河津絋/千葉英輔/風倉匠/プレイ/前山忠/堀川紀夫/芥正彦/糸井貫二/あさい・ますお/アイ・オー/吉村益信/篠原有司男/向井修二/ゼロ次元/稲憲一郎/安土修三/ハイレッドセンター(高松次郎・赤瀬川源平・中西夏之)/塩見千枝子/刀根康弘/山口勝弘/工藤哲己/小島信明/池田龍雄など、多士済々である。

 しかし、〈ハプニング〉の分析についていえば、やはりアラン・カプローに代表されるアメリカのアーティストの動きが重要ではあるが、他方で日本で活動した大阪の〈具体グループ〉についてふれないわけにはゆかない。
先頃、イタリア、とドイツで〈具体グループ〉の回顧展が開かれ、かつてのメンバーが参加して再演してみせたというニュースを耳にした。写真には田中敦子の色とりどりの電球とコードをつけた作品などが紹介されていたが、やはり何より驚いたのは、展示された作品が今もって新鮮な印象を与えたことであった。1953年に大阪の吉原治良を中心として結成されたこのグループの特徴は、日本に於けるアンフォルメル絵画の先鞭をつけたばかりでなくアクションをグループのデモンストレーションの柱に加えたことでもあった。まさに身体ごと絵画を描くというパフォーマンス的な方法が展開されたのである。それはすでにニューヨークやヨーロッパの一部で動きだしていた芸術家の行為に影響されたものではなく、全く独自の解釈をアンフォルメル運動の中からみいだしたことに大きな特徴があった。東京や九州を中心とした多くの作家が、その後の読売アンデパンダンやニューヨークの影響を受けてネオ・ダダイズムへ傾斜していったのに対し、〈具体グループ〉は全く独自にハプニングや今日のパフォーマンスにつながるアクションを展開していたのである。それは時代的にはケージのニュー・スクールの時代に重なり、その後のハプニングやフルクサスの動きの前史になっていることをみてもわかるように、極めてオリジナリティに富んだ絵画運動であった。
白髪一雄、元永定正、村上三郎、田中敦子、金山明、吉原通雄、吉田稔郎、嶋本昭三、吉田稔らによるアクションはやはり世界前衛現象の中でも特筆に値するものである。
 このことは、一つには同時代的に都市と人間という対立した概念がハプニングの源泉となった、という理解の他に、日本、それも大阪という都市の中から生まれた具体グループが、ニューヨークよりはるかにある意味で人間臭い大阪という都市で活動を開始したのは実に興味深いものがある。それは単に都市論的側面からのみハプニングがカウンター・カルチャー的に存在するだけではなく、そのハプニング性の中にいくつものバリエーションというか、都市論では割り切れない側面があることを示している点で興味深いのである。
つまり、このことは、芸術そのものに一種の暴発性というか〈身体〉的ラディカリズムが隠されており、例えば具体グループでいえば、アンフォルメル絵画という構造の中アクションを引きおこす要素があったのではないかという見方もできるかもしれないのである。つまり方法論と運動の形態の中にハプニングを生む要素があったということである。その現象が記号化されることによって、さらに社会的現象へ結びつき、その社会的刺激によってさらにアクションが過激に行われるという再反応が《具体グループ》の独自性をたかめていったのではないかと想像するのである。

 さて具体グループへの特別な席は別として、こうした〈ハプニング〉の時代にとって表現上の一つの特徴は、〈身体〉が関わる空間の装置がもつ意味である。環境(エンバイラメント)についての考え方が浮上してきた。絵画が特徴的にセザンヌ以降そしてマルセル・デュシャンの《階段を降りる裸婦》にあらわれたように全体性を考慮しはじめたようにパフォーマンス・アートに於いても〈身体〉という素材をとりまく〈装置〉=〈空間〉がはっきりとしてきたのである。いわばアクションが空間のシンボリズムにとって不可欠になってきたのである。それは、エンバイラメント・アートのはじまりであり、今日でいうインスタレーション・アートの考え方のはじまりであった。
例えば、アラン・カプローはビルとビルの谷間に大量のドラム缶を仕掛けたり《1961・廃品置場・ニューヨーク》広場の中央に巨大な仮設の黒い塔を建てたり《1962・中庭・ニューヨーク》したが、カプローにとって、ドラム缶はきたるべき大量消費文明へのいはば死せる都市の象徴としての装置性に他ならなかったのであると同時に、主役はビルとビルの谷間という空間の意味と環境性であった。それが一層ドラム缶を積み上げるという行為にとって効果的であったのはいうまでもない。都市社会に於いてはあらゆる物質が、隠喩的かつ象徴的に存在していることをふまえた上でいえば、その効果的方法としてビルとビルの谷間は欠かすことのできない装置であったのである。いはば、都市にあってはあらゆる物質が扱い方によっては批評性をもった存在になるのである。
 パフォーマンス・アートにおける〈装置〉性とは、身体的メディアが体験する経験の装置といってもよいだろう。さらに、組みあわせることによって生じる重層的な批評性が逆にいえば都市というものの存在を明確にするともいえよう。表現的にいえば、〈ハプニング〉は、〈装置〉によって表現へたどりつくきっかけをつくったのである。

 今日、パフォーマンス・アートが野外であれ室内であれある種の装置性を重要視するのは、一つには美術の流れをくむ痕跡であり、もう一つはこうした時代の因子を引き継いでいるからでもあるだろう。〈時間〉と〈空間〉という比喩に従えば、〈時間〉は人間の行為であり、〈空間〉は装置である。その統合の場としてパフォーマンス・アートが存在するのである。

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