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1971年〜

パフォーマンス・アートは70年代に入るとそれまでのどちらかというと刺激的なものから内省的になってきていた。様々な芸術的経験、例えば〈アース・ワーク〉や〈プロジェクト・アート〉と呼ばれるようなよりダイナミックな表現に加え、音楽による実験性を中心とした〈フルクサス〉の経験がパフォーマンス・アートをより一層発展的なものにしていったのである。それまでのパフォーマンス・アートがどちらかというと対象を外的状況にみいだしてきたのに対し、この時代にはじまるパフォーマンス・アートの多くは極めて自覚的であり内面的にみえた。みかけは派手であったり大袈裟な装置に色どられていても、そこに登場する〈身体〉は、シンプルで、それ以上でも以下でもない日常性をそのまま露出していた。周辺が劇的であればあるほど〈身体〉はそれに背をむけるように日常的な意識を強くしていったように思われる。
 パフォーマンス・アートばかりでなく多くの革新的な表現にとってもこの時代は最もドラステックな場面に遭遇した時かもしれない。記号的にいえば、従来有効性をもっていた多くの記号言語が、コンピューターの発達やエレクトロニクスの進化によってそれまでのように機能しなくなってきたといってもよいかもしれない。というよりは新しい社会のメカニズムによってもたらされたシステムがそれまでの言語構造を飛躍的に高めていった結果といえるだろう。分裂と再生、再生による組み換え、組み換えによる新しい概念が次々と生みだされた。又一方では1970年に発表された〈ローマ報告〉のように地球規模での黙示録的現象があらわになった時期でもあった。いうならば“風船の原理”である。公害、人口増加、食糧危機、飢餓、資源消費、核の問題が各々にあっており、例えば資源消費を防ごうとすれば経済の下降から飢餓を生み、公害を防ごうとすれば人口の増加を抑制しなければならず、核を防ごうとすれば再び資源消費はさけられない、というどうどうめぐりをくりかえすことになる。つまり、片方を押せば他方がふくらむというパンパンにふくらんだ風船のような状態が今日の社会現象にあらわれはじめたのである。こうした大きな社会問題は70年代を境に急速にあらわれはじめたものであり、私達はそのことを単に想像力の刺激とか創造の対極に位置づける外的な刺激として受けとめるにはあまりにも無力な存在となりつつあったのである。人類にとって多分はじめて経験する現実主義的思想がそれまでのイデオロギーや哲学にかわりはじめていたのである。かつて時代は人間のつくりだした文明とそこから導かれたイデオロギーや人間存在の問いとしての哲学が、人間と社会という関係を問いかけ、未明の精神を解く方法でもあったのであるが、そうした人間精神の構造的分析も今日では、極めてドラステックな物質感によって再びその存在の全体性を問い直さなければならなくなってきたといっていいように思われる。かつて、公害や人口増加や食糧の危機などの現実的主題は手法によって解決されてきたのだ、今日ではその現実主義的主題なしでは人間存在の基盤を論じることは不可能となっている。かつて世界は精神の優位によって形成され、その形成された精神を土台にして経済やイデオロギーが論じられ実践されてきたともいえるが、今やそれらの精神の優位はロマン派以上に牧歌的になりつつある。それに代わるコンピューターやエレクトロニクスの発達はまさにそうした状況を越えるかたちで、単なる機械やメカニズムの範囲を越えて大袈裟にいえば〈思想の道具〉としての根拠をもちはじめたといえる。
 つまり、コンピューターやエレクトロニクスの例は一つの素材的比喩にすぎないが今日では極めて現実主義的主題が人間の存在や生き方に深く関わっている経験の時代といってもよい。あるいは、多くの表現がそれまでのテーゼであった記号論的方法から、生物学的な生と死というドグマをあわせもった現実によって思想的な変換をとげなければならない時代になったといえるだろう。それらは極端に云えば、死を目前にしていることによってそれまでの論理的な生の原理までをも否定しかねない。かつてニーチェは“神は死んだ”とツアラトゥストラで語らせ、キリスト教的形示上学的死の再生の役目として近代の自我の到来を予言してきたが、その自我の形成の結果ともいうべき今日の文明社会が、皮肉にもその自我と、それよりずーっと以前の〈聖書〉によるハルマゲドンの予言の中に生きるという二重のパラドクスによって現実の死を目前にしているという皮肉である。換言すれば、パフォーマンス・アートのみならず芸術全体が一種の内省的分析に移行せざるを得なかったのは直接的な現実体験による思想の転換をせまられたせいでもある。かつて物質的といわれ都市的といった対象が、現在ではそれ自身が人間存在そのものであり同時に人間を否定する記号に変容したのである。比喩的にいえば〈神は二度死んだ〉のである。こうした現実主義の台頭は、パフォーマンス・アートというメディア的身体を伴った表現にとって、それまでどちらかというと観念的な身体性と環境性を記号的に使うことで、現実に対するカウンター性を獲得してきた表現が、カウンターの根拠である人間の存在を、生物学的な生存の問いとして新ためて問い直させはじめたということである。このことが、今日の新しい身体論としての意味を自己の分析と解説というかたちでパフォーマンス・アートをゆすぶっているのである。70年代から90年代のパフォーマンス・アートはその意味で、再び新たな〈身体〉の問題に 直面したのである。つまり、ひとはいつも演繹的な方法によって歴史にその存在の理由を求めがちであるが、今日のダイナミックというか終末的な世界観と共にあらわれたドラステックな転換によって歴史のプログラムを変更せざるを得なかったことを意味している。そうした時代のせいか、パフォーマンス・アートは1970年を一つの契期として、それ迄には決してみられなかった独特の手法をもちはじめた。それが内省の声、つまりモノローグ的なものへの移行であった。いわば内面の露出であり、比喩としての身体が個人の物語として語られはじめた契期である。カウンター性は極めて道義的に自己に向けられた結果であった。

 仮に、1970年以前のパフォーマンス・アートを積極的な時代と呼ぶならば、1970年代のパフォーマンス・アートの一つの傾向は消極的なパフォーマンス・アートと呼んでもよいだろう。ゴールドバーグによれば、〈潜在的なパフォーマンス〉である。今日、比喩的にせよ象徴的にせよパフォーマンスが一見道化的にみえるのは、その意味が自己の露出に向けられたせいである。決して、王と道化の関係という外と内の関係ではなく、自己の中にある王を顕在化することによって道化にならざるを得ないという二重性を同時にあらわしはじめたからに他ならない。
 時代の区分はいささかあいまいであるが、それは、デュシャンからティンゲリーまでをパフォーマンス・アートの第一期として考えれば、ジョン・ケージからビト・アコンチは第二期であり、それ以後を第三期と呼んでもよいだろう。勿論それぞれはオーバー・ラップしており、その上アラン・カプローの言葉を借りるまでもなく“ごくつまらない理由”でもパフォーマンス・アートは成立するが、他方に於いて〈身体〉の状況はいくつかの時代的予兆の転換を今でもくりかえしている。

 1971年、ソナベンド画廊でビト・アコンチは〈苗床〉という作品を発表した。画廊を訪れる人が歩きまわる通路に置かれたビデオ・モニターを見るとそこには、カメラの前でマスターベーションをしているビト・アコンチが映っている。

 ビト・アコンチのパフォーマンスが示すものは、自己分析による内面的な行為ではあるが、身体の記号性という点からいえば、それ以後のブルース・ナウマンやテリー・フォックスなどに共通するメディアと身体の具体的な関係という今日のパフォーマンスの主体的基調をつくっている。いわばテクノロジーによる身体の変容である。換言すると、今日のパフォーマンス・アートは、純粋に身体的な方法にせよ、あるいは儀式的な方法を比喩的に使うものにせよ、それら全てに共通しているのは、〈身体〉が二次元的メディアに変容されることによって再構成されていることである。それは、それぞれの定義によるそれぞれの意義申し立てという現象は基本的には変らないが、そこにメディア・テクノロジ−の関与が深くみえかくれする。より直接的なものから間接的なものへ。さらに間接的なものの回路を迂回して記号的なものへ…。というかたちでパフォーマンス・アートは複雑なメディアの手続きを経ながら人間の肉声から遠ざかってゆき、より比喩的な存在となっていくのである。こうした比喩性、つまり寓意(アレゴリー性)は個人的であればあるほど記号化への回路の段階で象徴的なものとなってゆく。性器は単に性器であり、目は単に目なのである。そして、その性器と目を結んでいる回路の読解の方法こそがパフォーマンス・アートの隠された意図であるのはいうまでもない。つまり、自己批評性を獲得する手段として求められたのが身体の無化につながる複雑なメディアの回路の採用であったといえよう。そのためか応々にしてパフォーマンス・アートが、視覚芸術的な批評性を今もって充全にもてないのはこうした複雑なメディア回路現象そのものと深く関わっているからに他ならない。パフォーマンス・アートがよくいわれるように1回性にこだわっているようにみえるのは、こうした自己批評性が極めて複雑な手続きによって構成されているからでもある。換言すると、そこには印象批評の入り込むすきまはないということである。批評は常に他者によって行われるという原則からすれば、これほど他者を拒否し、自己充足的なかたちで表現される形式もないということになる。逆にいえば批評は個人批評ではなく、個人につらなる文化なり文明への批評というかたちでしか提言できないのであろう。そのことこそがまさにパフォーマンス・アートに於ける批評の本質ともいえるのだ。
 例えば、自らの身体をそのまま彫刻作品とし、近年に於いては巨大なポ−トレ−トを作っているギルバ−ト&ジーョジや、沈黙の空間で繰り広げられる秘義的行為を予感させるマリーナ&ウライ、あるいは、ぶよぶよした肉体はコメディな動作によって現実を皮肉ったアクションを展開するキッパー・キッド。さらにはロック・グループのシステム的展開ともいうべきローリー・アンダーソンの仕掛けや、シンディ・シャーマンの写真による自画像のバリエーションはそれらの典型である。日本でいえば、一時期の高橋寛や、未来派の一部の演出方法とバウハウスに於けるオスカー・シュレンマーのプログラムを想像させるダム・タイプ、ビデオを操作しゲーム的パフォーマンスを開いた加藤到などにその傾向をみいだせるだろう。あるいは森村泰正のトリック的自画像の絵画の手法の開陳もその一つとして考えられるかもしれない。ともあれ、今日のパフォーマンス・アートの特徴は多義的なメディアとのクロス・オーバーであり、自己充実的な傾向にあるという点である。記号的にいえば、電子メディアのチップの一つとしての身体がそこにある。

 それらはかつてハロルド・ローゼンバーグがジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングからハプニングを予言したように、さらにはスーザン・ソンタグが「キャンプについてのノート」でしめした56の条件に合致するような趣味としてのアート、つまりシュール的なものへの傾向を時代とアクションの関係としてとらえたように、あるいはアラン・カプローがアッセンブリッジという手法にパフォーマンスの展開、つまり行為と素材にみいだしたように、それまでのパフォーマンスがもたらした身体性の位置づけは、とりわけ視覚芸術に強くあらわれ、その視覚芸術のもっている素材の隠喩性が発展的に今日のパフォーマンス論に結びついているのである。ある意味では方法論的概念性はほとんどハプニング以来変っていない。にもかかわらず、一時期のハプニング時代と訣別するものが今日のハプニング・アートの中にみいだされるとすれば、その決定的な違いは何度もいうように、身体性への解釈が単に視覚芸術のシーンに止まらずに、多様な文化的地平にまでつれさられてきた情報社会そのものに最も大きな原因があるといってもよいように思われる。

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