津軽は東日流とも書く。私の生まれ育った所である。その津軽について何か考えたり書こうとするといつも奇妙な戸惑いに襲われる。故郷には様々な思い出がある。しかしそのほとんどが個人的な、というよりもさらに微私的なもの、例えれば決して死ぬまで語ることのない性的な心の壁にも似た感情である。兎とも鮒とも豊饒に棲んでいた代わりに首のない鶏や臓物のはみだした豚も棲んでいるのが故郷である。故郷を語ることは結局《私》を語ることである。つまり私にとっては〈私は誰か〉という自己言及の物語の中心に津軽の風景があり、その風景のもつ意味がさながら神経ニューロンのように体中に張りめぐらされ記憶の触手をのばしながら現在の《私》を事あるごとにからめとろうとしているかのようにみえるのである。―私は、昭和19年11月13日の夜ツガルに生まれた―
津軽は“物語”の多い土地である。長い冬と深雪が“物語”を育んだという説もあるが、他方では中央の貪欲なまでの権力指向と富の集積と情報の管理が生みだした現実主義的構造から遠く離れた地理的条件が、長い距離の分だけ幻想を育て、その辺境の孤独な重さの分だけ中央から伝えられる断片的な情報が姿を変え土着の色彩を帯び方言に重なりあった結果、津軽の“物語”が語られてきた。といういい方が私には理解しやすい。貧しさというのは富の問題ではない。本質的には情報の喪失に関わっている。貧しい人々の群れは人全て貧しければ貧しさを思うことはないのは道理であるが、そこにもし一片の情報が舞い込んできて「江戸では、東京では…」と人の心をかき乱す。今でも貧しさは程度の差こそあれ同じものであるのはいうまでもない。そしてこの関係が一方的であればあるほど人々は落差を感じる。この落差の姿が貧しいのである。そして人はその貧しさの落差を埋めるようにきそって“物語”をつくるのである。そこでは向かいあい触れあうのはいつも自分自身である。手をのばせば唇に触れ、足をのばせばコタツの下から相手の性器に容易に届くような距離のない空間こそ“物語”の源泉といえようか。
冬の月
《私》の“物語”。つまり私語(ワタクシゴ)に最もふさわしいのは方言である。方言こそ“物語”のはじまりであり“物語”に伴った身振りの寓意である。そこには共通のニュアンス、共通の身体的信号、共通の匂い、共通の目や口や耳や指など全ての器官が手をのばせば届く距離にある現象である。 |