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寓話(4) ― 呪者に出会う

 ウィルタ族の呪者、北川源太郎ことダーヒンニィーニェ・ゲンダーヌに会ったのは1982年の2月初旬である。会ったのは網走市郊外の大曲地区にある〈ジャッカド・フニ〉と呼ばれる通称オロチョン族の民族資料館。雪をはらって扉を押すとそこにゲンダーヌは一本の柳の木をかかえて座っていた。
太めの柳の木を長さ30センチ位に切ってニポポというウィルタの守り神とされている人形をゲンダーヌは作っているところだった。柳の木は真白な肌をしており、その肌がゲンダーヌの厚い手によってシューッシューッとけずられてゆきみるまにニポポができていった。ストーブは赤くなっており外気はひどく寒いのにそこだけは汗ばむような厚さであった。

 二年程前から私は私の家族のルーツ探しというゲームに熱中しており、この年も厳冬期を選んで青森を起点に函館へ連絡船で渡り、そこから北海道の南の淵をずーっと西へ向かい室蘭からさらに帯広を経て釧路に入り、釧路と厚岸をUターンするかたちで再び釧路から根釧原野を横切って標茶経由で網走へたどりついたところだった。このコースはかつて私の祖々父の辿ったニシンの道の一つである。厚岸の入江のそばには崩れかけた番小屋が残されており、中に入るとかすかに魚のすえた臭いが鼻をつく。厳しい寒さの最中でもありツララは小屋の中にまでたれ下がっていた。巨大なニシン御殿から番小屋までの人生を歩んだ祖々父の夢に似た臭いがここにもあって煙草を一服していると魚の匂いと、北の精霊が重なりあう。猛烈な寒さに絶えかねて外の雪の上に小便をちびるがごとくしたところその小便の跡がみるみるうちに黄色い氷になってゆくことに改めて驚きもしたが、何だか知らずのうちに唇は渇き、乾いた唇をかみしめているとそこから薄い血が白い雪の上に落ちて、何ということもないがハッとした。厚岸の小さな湾は蓮の葉のような氷におおわれており、黒々とした海の上の蓮葉氷を割って時折漁船が通りすぎてゆく。厚岸とその対岸の島のようにみえる町をつなぐ大きな橋の上に立つと厚岸の町が一望によくわかる。今は海運会社の倉庫や冷凍庫がたちならぶ海沿いのこの町もかつては随分栄えた漁師町だったのだろう。新しい倉庫に混じって古い漁師小屋が残されている。橋の上に立っているとこの地方でゴメといわれる灰色の鴎が残忍そうな赤い目で風に向かって欄干に群れている。ゴメは死んだ漁師の生まれかわりだという話をきいたことがある。海で死んだ漁師の肉をゴメは好んで食べる。食べるとその肉と共に漁師の魂が宿るというのである。そして死んだ漁師の数だけゴメに生まれかわるというのだ。私の祖々父がどんな死に方をしたのかはわからないが、もし海で死んだとしたら北海道のゴメの一羽になって赤い目で相変わらず夜となく昼となく海をみているに違いない。

 私の家族探しゲームは別段家に資料があったわけでもなかった。基本的には一枚の写真さえあればよく、あとはほんのわずかの予感と風景の中にたたずむ時間があればよかった。季節や自然の中に身を沿わせること、そしてその季節に想像力を重ねることだけである。本当は祖々父のついての¨物語¨をつくるためというよりは《私》の“物語”に興味があるためといってもよい。それは自然からの引用を《私》という一冊の身体的書物に書くことと似ている。

 私の目的はほとんど厚岸で終わっていた。それまで撮影したフィルムの整理やスケッチや端々のメモや鳥の声とか船のきしむ音や風や海の音を録音したテープの整理が残っているだけだった。網走へきたのはいわば旅の余韻のようなもので、釧路から冬の根釧原野を横断してみたいという気持ちのはてに到着してしまったという感じである。
 余談だがその夜の網走はひどく寒く零下20度以下であったと思う。吐く息がまるでスノーダストのようだった。夜半オホーツクの海岸際に立つ旅館にいると不思議な音がする。窓を開けると冷気がどっと入り部屋は一瞬にして凍るような寒さになるのだが、その冷たい空気に混ってカーン、カーンと海が鳴っている。音は暗いオホーツクの波のない流氷の海に木霊して四方八方に広がっている。沖から新しい流氷が近づきその氷がぶつかり割れ響く氷の音である。それは氷音のシンフォニーというにふさわしい。冷たくなった身体の中を零下20度で音が通りすぎてゆくというのは冷たい愉悦である。

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